2023年10月01日
ナム戦 SEALs M60 ストックカップ
こんばんは

今回はナム戦シールズ使用のM60ゴム製ストックカップです。
*アルミカップはヨスニクスがオーダー中の物で完成まじかです。
ゴム製ストックカップ

金属製ストックカップ

ゴム製、アルミ製のタイプを使用してる画像は残っています。
ゴム製タイプは過去にいろいろなクリエータ-が形に起こしましたが自分としてはやはり柔らかい素材
で作りたいのと取り付け方法、刻印やモールドなど本物にある部分を再現して形にしたいと思い
RFAさんにお願いしました。
番長製カップ


情報も少ない時代にアルミで作り上げた根性の一品
サバゲーには頑丈でこわれ知らず。
クフィール製カップ

3Dプリンター製で良い形状と雰囲気を出しサバゲで使用可能で強固な作り。
RFA製ゴムカップ

実は現存も少なく手に入らないのでヒストリカルと自分の満足度の為に
ゴム素材でリアル物を形にしてもらいました。

実物の素材はゴムです。
頼りない感じですがこのパーツ自体が持ち歩くために
作られた物ではなくヘリコプター搭載機銃に使用する物でそれを当時の海軍シールズが転用して使用してただけのものです。
左側には刻印があり
バッファー固定用のピン穴にモールドがあり再現
RFA製 刻印(実画像からトレースし起こしたので字ズレもそのままにコピーしています)

実物 刻印 固定ピンモールド

刻印がズレていない個体も確認できます。

実の固定方法はM60のバッファーを使用しての固定となっていますがこれも再現しました。
RFA製カップ内部

実カップ内部
バッファーが引っかかる為のピン(鉄製)も再現

バッファーをカップにセットして

ヨークでフレームと結合します

思っていたよりしっかりホールド!
もちろん製造過程でできたつなぎ目も再現

実ゴムカップにもつなぎ目はしっかりと残っています!
取り着けてゴムカップ部を下側にして立てかけるゴムなので破損します。
またハードリコイル系もウエイトが入ったM60には対応できません。
実物のゴムカップは時間とともに加水分解や破けて現存数は少なく手に入れにくい物ですが
ここまで完成度が高い造形なら自分の物欲満足しています。

バッファーヨーク/バッファーとは

赤線の部分がM60のバッファーヨーク/バッファーです。

フレームのストック取り付け部より中に入れヨークで固定しています。

ノーマルストックの脱着はストックに有るラッチによりロック/解除ができ、この部分でストックを固定しています。
つづく
今回はナム戦シールズ使用のM60ゴム製ストックカップです。
*アルミカップはヨスニクスがオーダー中の物で完成まじかです。
ゴム製ストックカップ

金属製ストックカップ

ゴム製、アルミ製のタイプを使用してる画像は残っています。
ゴム製タイプは過去にいろいろなクリエータ-が形に起こしましたが自分としてはやはり柔らかい素材
で作りたいのと取り付け方法、刻印やモールドなど本物にある部分を再現して形にしたいと思い
RFAさんにお願いしました。
番長製カップ
情報も少ない時代にアルミで作り上げた根性の一品
サバゲーには頑丈でこわれ知らず。
クフィール製カップ

3Dプリンター製で良い形状と雰囲気を出しサバゲで使用可能で強固な作り。
RFA製ゴムカップ

実は現存も少なく手に入らないのでヒストリカルと自分の満足度の為に
ゴム素材でリアル物を形にしてもらいました。

実物の素材はゴムです。
頼りない感じですがこのパーツ自体が持ち歩くために
作られた物ではなくヘリコプター搭載機銃に使用する物でそれを当時の海軍シールズが転用して使用してただけのものです。
左側には刻印があり
バッファー固定用のピン穴にモールドがあり再現
RFA製 刻印(実画像からトレースし起こしたので字ズレもそのままにコピーしています)

実物 刻印 固定ピンモールド

刻印がズレていない個体も確認できます。

実の固定方法はM60のバッファーを使用しての固定となっていますがこれも再現しました。
RFA製カップ内部

実カップ内部
バッファーが引っかかる為のピン(鉄製)も再現

バッファーをカップにセットして

ヨークでフレームと結合します

思っていたよりしっかりホールド!
もちろん製造過程でできたつなぎ目も再現

実ゴムカップにもつなぎ目はしっかりと残っています!
取り着けてゴムカップ部を下側にして立てかけるゴムなので破損します。
またハードリコイル系もウエイトが入ったM60には対応できません。
実物のゴムカップは時間とともに加水分解や破けて現存数は少なく手に入れにくい物ですが
ここまで完成度が高い造形なら自分の物欲満足しています。

バッファーヨーク/バッファーとは

赤線の部分がM60のバッファーヨーク/バッファーです。

フレームのストック取り付け部より中に入れヨークで固定しています。

ノーマルストックの脱着はストックに有るラッチによりロック/解除ができ、この部分でストックを固定しています。
つづく
2023年08月10日
Mk4mod0+Mk2mod0suppressor 1970年~ Vietnams USN SEAls
こんばんは
今回は
ナム戦SEALsのMk4mod0(M16A1)と
Mk2mod0 suppressorが完成したので少し書いてみます。
*******************************************

*ナム戦時代の米軍のマニュアル等ではsuppressor/サプレッサー記述となっていますので
私のブログではsuppressorと書かせていただきます。
*******************************************



https://www.youtube.com/watch?v=29oJz-Y96Vw&t=184s
Weaponology - Navy SEALs Pt 1動画の数秒間ですがMk4mod0ライフルを
水に漬けて引き上げている動画があり、ストック、サプレッサーから水が抜けるのがわかります。



↑の画像は90年代のシールミュージアムの画像です。


↑は最近のシールミュージアムの展示で変更されたようです。
Mk4mod0はフロリダのシールミュージアムに存在しています。
Mk4mod0(M16A1)の現存個体はハイドロマチック製の個体です。

そしてストックにはMk4mod0の刻印と水抜き穴があるようだがミュージアムの個体には刻印は見当たらない。




Mk4mod0のストックとしてネット上に存在するストック画像
*全く真偽は判りません。
Mk4mod0の仕様
・銃全体をガンコートで塗装(塩害処理)
・ストックからバッファーに水抜きの穴がある
・Mk2mod0特殊suppressorを使用
・この仕様により水深200ft(60.96m)から地上に上がっても即射撃ができる。
簡単に.まとめるとこのような仕様ですが本当の詳細は不明
ここからがエアガンの話です。
シールズミュージアムに現存する個体を基本で作り始めました。
ベースになる銃はG&P製M16A1電動ガンを電磁弁使用のMk4mod0へ



刻印はハイドラマチック刻印、ガンコート塗装をサルテックさん

Mk4mod0のストック刻印はネオナムさん



Mk2mod0suppressorはヨウスニクス製(2023/7に発売問い合わせはヨウスニクスへ)




それぞれのパーツを組み上げ完成させたのはヨウスニクス
完成した個体は作動音が少ない電磁弁に変更、suppressorを付けると音がしない仕様に!
今回は
ナム戦SEALsのMk4mod0(M16A1)と
Mk2mod0 suppressorが完成したので少し書いてみます。
*******************************************

*ナム戦時代の米軍のマニュアル等ではsuppressor/サプレッサー記述となっていますので
私のブログではsuppressorと書かせていただきます。
*******************************************



https://www.youtube.com/watch?v=29oJz-Y96Vw&t=184s
Weaponology - Navy SEALs Pt 1動画の数秒間ですがMk4mod0ライフルを
水に漬けて引き上げている動画があり、ストック、サプレッサーから水が抜けるのがわかります。



↑の画像は90年代のシールミュージアムの画像です。


↑は最近のシールミュージアムの展示で変更されたようです。
Mk4mod0はフロリダのシールミュージアムに存在しています。
Mk4mod0(M16A1)の現存個体はハイドロマチック製の個体です。

そしてストックにはMk4mod0の刻印と水抜き穴があるようだがミュージアムの個体には刻印は見当たらない。




Mk4mod0のストックとしてネット上に存在するストック画像
*全く真偽は判りません。
Mk4mod0の仕様
・銃全体をガンコートで塗装(塩害処理)
・ストックからバッファーに水抜きの穴がある
・Mk2mod0特殊suppressorを使用
・この仕様により水深200ft(60.96m)から地上に上がっても即射撃ができる。
簡単に.まとめるとこのような仕様ですが本当の詳細は不明
ここからがエアガンの話です。
シールズミュージアムに現存する個体を基本で作り始めました。
ベースになる銃はG&P製M16A1電動ガンを電磁弁使用のMk4mod0へ



刻印はハイドラマチック刻印、ガンコート塗装をサルテックさん

Mk4mod0のストック刻印はネオナムさん



Mk2mod0suppressorはヨウスニクス製(2023/7に発売問い合わせはヨウスニクスへ)




それぞれのパーツを組み上げ完成させたのはヨウスニクス
完成した個体は作動音が少ない電磁弁に変更、suppressorを付けると音がしない仕様に!
もし気になればご相談はヨウスニクスへ
つづく
つづく
2020年09月26日
Ithaca Model 37 ダックビルハイダー その2
こんばんは

2020/9/19ベトベト

大きさが判る実銃画像
Ithacaのダックビルハイダー
ほんの少しだけ事実が出てきたので残しておきます。





海外のフォラームに書いて有ったことですが
つぶされたIthaca37ダックビルハイダーがなんと15丁分サルベージされたそうで
残念なことは錆びていて表面の刻印が確認できない事です。
確認出来れば軍用で納品されたかが確認できたのですが…
事実としてバレルクランプはアルミでも硬質材質のようで今でも使えそうな感じです。
クランプのネジはヘキサネジで頭は出ていない(皿ネジ?)ネジと確認が取れたのが大きな収穫
でした。
リング付きのハイダーにはフロントサイトが有るのが確認できます。
つづく

2020/9/19ベトベト

大きさが判る実銃画像
Ithacaのダックビルハイダー
ほんの少しだけ事実が出てきたので残しておきます。


海外のフォラームに書いて有ったことですが
つぶされたIthaca37ダックビルハイダーがなんと15丁分サルベージされたそうで
残念なことは錆びていて表面の刻印が確認できない事です。
確認出来れば軍用で納品されたかが確認できたのですが…
事実としてバレルクランプはアルミでも硬質材質のようで今でも使えそうな感じです。
クランプのネジはヘキサネジで頭は出ていない(皿ネジ?)ネジと確認が取れたのが大きな収穫
でした。
リング付きのハイダーにはフロントサイトが有るのが確認できます。
つづく
2020年03月12日
米軍のコンバットショットガン
こんばんは

コンバットショットガンの話です。
ナム戦で米海軍はIthaca Model37使用して
米陸軍はStevens Model77E使用しているのか?
米海兵隊?がRemington Model870を何時から使用しているか?
気になりまして。
ブルース・N・キャンフィールド氏(Bruce N. Canfield氏)
が書いた文章から。

第一次世界大戦中、戦闘用のメタルハンドガードとバヨネットラグを装備したWinchester Model1897と同様にモディファイされた

Remington Model10ショットガンとともに「トレンチガン」と呼ばれ、第一次世界大戦中に生産された、これらのショットガンは戦争の間、米軍に使用され1918年の契約解除後、新しいコンバットショットガンは製造されませんでした。WWⅠ後、銃器メーカは民間のスポーツ/狩猟市場向けにライフルとショットガンを製造していました。

ウィンチェスターとレミントンのスライドアクションショットガンは人気が有った為、Ithacaはスライドアクションタイプの銃を模索し1937年、Ithaca初のスライドショットガン、Model37を作り、この銃はジョンブローニングが設計したモデル17の改良版でシェルがレシーバーボトムからロード及びイジェクトされるタイプでレミントンアームズ社の人気のショットガンでした。
米国はヨーロッパで激動する戦争に引き込まれる可能性がますます高まっていた為、アメリカ陸軍武器科(U.S. Army Ordnance Dept)は訓練と戦闘の為、すぐに必要になると予想、軍事用ショットガンも含め調達する準備を始めアメリカ陸軍武器科は1941/8/7にOrderNo. 17074 を発行し、 以下の“riot and sporting use”ショットガンを軍用標準とした。
Winchester Model97
Winchester Model12
Ithaca Model37
Remington Model31
Savage M620
1941/11/11日(真珠湾攻撃の1か月前)アメリカ陸軍武器科は、ウィンチェスターに1,494丁のModel97「トレンチガン」を発注。Ithacaは戦争を予測しコンバットショットガン、IthacaM37/20inバレル、トレンチガンバージョンを設計しました。Model37は以前、アメリカ陸軍武器科によって評価された銃のなので、20in/riotタイプ(バヨネットラグ有、無)及び30inバレルはすぐに承認調達されました。
1942年の春、政府は「Model37、12G /20in」バヨネットラグ付きRiotタイプショットガン」1,420丁を発注。
Model37トレンチガンは、1942年6月27日~7月20日までにIthaca工場からオーガスタアーセナルに出荷され、1942年9月4日に2台の追加のモデル37トレンチガンがニューカンバーランド(ペンシルバニア州)補給所に送られ、合計で1,422丁のIthacaM37が生産納品された。
*アーセナル、ジョージア州オーガスタ練兵場だと思います。
WW2のIthaca Model37トレンチガンは商用グレードのブルー仕上げで
長くなりましたがここからナム戦です。
1962年初頭、東南アジアンの同盟国を武装させる為の追加のミリタリーショットガンの必要性が生じました。
1962年11月から、IthacaM37「12G/Riotタイプ、スライドアクション、20in、軍用仕様MIL-S3443, Type IIIA」の政府契約を受け取りました。1丁あたりのコストは36.61ドルで、これにはクリーニングロッドとスリングが含まれ、1962年11月14日から1963年1月31日までに合計22,000丁のM37ショットガンがサイゴン政府に届けられました。Ithacaは米軍用に作られていなかった為、アメリカ軍の刻印、着剣ラグは無いRiotタイプショットガンでした。

米国のベトナムへの関与がさらに拡大し、WW2で生産されたショットガンが枯渇し1963年、米国政府はIthacaにRiotタイプM37をオーダーしました。南ベトナム政府用に作られたIthacaと同一でスリングスイベルは無く「S」(S1000-S23000)から始まるシリアルナンバーでした。レシーバーとバレルに「P」のプルーフマークが打刻されレシーバーの右側に「US」のマークが打刻、これらの“S-prefix” SUミリタリーモデルのIthacaは着剣ラグを装備していませんでした。例外で1963年U.S. Air Forceが206丁をWW2 M37トレンチガンタイプをオーダーしたようです。



ナム戦時の刻印がある個体
ここからナム戦の米海軍です
1966年5月、U.S. Naval Operations Support Groupは3000丁のM37「Shotguns, Riot Type, Special Purpose, 12g」を発注しました。Ithacaは1丁/37.60ドルの契約価格でシリアルナンバー902000〜952000の付けられた個体です。IthacaはサンディエゴのU.S. Naval Amphibious Base に出荷され、その後、海軍と海兵隊に配布されました。シリアルナンバーマーキング形式を除いて、「S-prefix」M37ライオットと同じような仕様でした。
ここを読む限り以前に政府には納品してるようだがハッキリ66年に米海軍、米海兵隊に渡ったと記述が有り
1960年代半ばに、フランクフォードアーセナルはショットガンの「拡散チョーク」を実験、ショットパターンを生成し「ヒット確率」を高めました。この研究の結果、楕円形のショットパターンを生成するいわゆる「ダックビル」チョークが開発され。M37ライオットに取り付けられた、これらの実験的チョークのいくつかはナム戦の米海軍シールと米海兵隊偵察チームによって使用され、チョークの戦闘使用の結果はさまざまであり、最終的にチョークデバイスは戦闘使用よりも暴動鎮圧に適していると判断されました。


が!M870も有ったりします。


これM870?
1967年、米国政府は以前USFAが注文した200丁を超える「“S-prefix”番号」トレンチガンとは多少違う仕様のトレンチガンをIthacaに少量発注しました。ベトナム時代後期のM37トレンチガンは、パーカー処理された、別のシリアル番号、刻印でWW2のトレンチガンと非常に似ていました。Ithacaには以前の様に工場生産と出荷記録は無い様で少数の個体はシリアルナンバー980,000の範囲の様です。このM37トレンチガンには商用刻印(Ithaca独自の「Roto-Forge」ロゴを含む)に加えて、銃のレシーバーに「US 」をバレルに「P」プルーフマークを刻印またIthacaは軍用刻印無しで製造もしたようです。
バレルに入っているRoto-Forge刻印


1960年代に生産されたM37トレンチガンはWW2トレンチガンと同様にM1917銃剣でナム戦時代の銃剣にはプラスチック製のグリップに変更されていますがレミントンとウィンチェスターが製造した1917年~1918年の銃剣より粗雑な作りだったようです。

東南アジア紛争中に最も広く使われたショットガンはIthacaModel37とStevensModel77EでしたがM77Eは不具合が有りM37は高く評価されたようです。1960年代後にレミントンM870やウィンチェスターM1200を含む新しいショットガンが登場し、M37及び77Eはアメリカ軍からは無くなっていったようです。


コンバットショットガンの話です。
ナム戦で米海軍はIthaca Model37使用して
米陸軍はStevens Model77E使用しているのか?
米海兵隊?がRemington Model870を何時から使用しているか?
気になりまして。
ブルース・N・キャンフィールド氏(Bruce N. Canfield氏)
が書いた文章から。

第一次世界大戦中、戦闘用のメタルハンドガードとバヨネットラグを装備したWinchester Model1897と同様にモディファイされた

Remington Model10ショットガンとともに「トレンチガン」と呼ばれ、第一次世界大戦中に生産された、これらのショットガンは戦争の間、米軍に使用され1918年の契約解除後、新しいコンバットショットガンは製造されませんでした。WWⅠ後、銃器メーカは民間のスポーツ/狩猟市場向けにライフルとショットガンを製造していました。

ウィンチェスターとレミントンのスライドアクションショットガンは人気が有った為、Ithacaはスライドアクションタイプの銃を模索し1937年、Ithaca初のスライドショットガン、Model37を作り、この銃はジョンブローニングが設計したモデル17の改良版でシェルがレシーバーボトムからロード及びイジェクトされるタイプでレミントンアームズ社の人気のショットガンでした。
米国はヨーロッパで激動する戦争に引き込まれる可能性がますます高まっていた為、アメリカ陸軍武器科(U.S. Army Ordnance Dept)は訓練と戦闘の為、すぐに必要になると予想、軍事用ショットガンも含め調達する準備を始めアメリカ陸軍武器科は1941/8/7にOrderNo. 17074 を発行し、 以下の“riot and sporting use”ショットガンを軍用標準とした。
Winchester Model97
Winchester Model12
Ithaca Model37
Remington Model31
Savage M620
1941/11/11日(真珠湾攻撃の1か月前)アメリカ陸軍武器科は、ウィンチェスターに1,494丁のModel97「トレンチガン」を発注。Ithacaは戦争を予測しコンバットショットガン、IthacaM37/20inバレル、トレンチガンバージョンを設計しました。Model37は以前、アメリカ陸軍武器科によって評価された銃のなので、20in/riotタイプ(バヨネットラグ有、無)及び30inバレルはすぐに承認調達されました。
1942年の春、政府は「Model37、12G /20in」バヨネットラグ付きRiotタイプショットガン」1,420丁を発注。
Model37トレンチガンは、1942年6月27日~7月20日までにIthaca工場からオーガスタアーセナルに出荷され、1942年9月4日に2台の追加のモデル37トレンチガンがニューカンバーランド(ペンシルバニア州)補給所に送られ、合計で1,422丁のIthacaM37が生産納品された。
*アーセナル、ジョージア州オーガスタ練兵場だと思います。
WW2のIthaca Model37トレンチガンは商用グレードのブルー仕上げで
政府との契約で調達された初期のIthacaのレシーバには彫金は無く、グリップとレピータハンドルにチェッカリングが有りました。

ネットで拾ったIthacaM37/30inストックとレピータハンドルにチェッカリングあるタイプはこの個体に近いと推測
Ithacaは他のメーカーとは異なり、第二次世界大戦~の生産記録があり正確なシリアル番号が残っています。銃のシリアルは連続していませんが第二次世界大戦で生産されたモデル37トレンチガンの軍用シリアルは57,820から61,450でした。レシーバー左側面にOrdnanceの刻印、「RLB」(Rochester L. Bowlinの頭文字)、バレル/レシーバーにPマークが打刻されていますが在庫からのIthacaM37には検査または証明の刻印が無かったものが有ったようです。

この画像のシリアルですがSから始まるナンバーなのでナム戦の軍用Ithacaです。
1,422のトレンチガンに加えて、Ithacaは政府に多数のM37Riotを納入しました。初期の契約を履行するために、M37 20in/Riotの多くは民間の生産在庫から直接納品され「US」、Ordnance「flaming bomb」爆弾マーク「P」マーク刻印があり多数個体のレシーバーにゲームシーンの彫刻がされたブルー仕上げで木部はチェッカリング入った物でした。1941年後半から1942年初頭にかけてM37 22in/Riotタイプとトレンチガンに加えて、米政府は1941年6月~1942年9月までに4,534丁のロングバレルM37訓練用ショットガンを調達しました。1945年以降、Ithaca、ウィンチェスター、スティーブンスとともに、戦後の需要は十分で生産を停止しました。

ネットで拾ったIthacaM37/30inストックとレピータハンドルにチェッカリングあるタイプはこの個体に近いと推測
Ithacaは他のメーカーとは異なり、第二次世界大戦~の生産記録があり正確なシリアル番号が残っています。銃のシリアルは連続していませんが第二次世界大戦で生産されたモデル37トレンチガンの軍用シリアルは57,820から61,450でした。レシーバー左側面にOrdnanceの刻印、「RLB」(Rochester L. Bowlinの頭文字)、バレル/レシーバーにPマークが打刻されていますが在庫からのIthacaM37には検査または証明の刻印が無かったものが有ったようです。

この画像のシリアルですがSから始まるナンバーなのでナム戦の軍用Ithacaです。
1,422のトレンチガンに加えて、Ithacaは政府に多数のM37Riotを納入しました。初期の契約を履行するために、M37 20in/Riotの多くは民間の生産在庫から直接納品され「US」、Ordnance「flaming bomb」爆弾マーク「P」マーク刻印があり多数個体のレシーバーにゲームシーンの彫刻がされたブルー仕上げで木部はチェッカリング入った物でした。1941年後半から1942年初頭にかけてM37 22in/Riotタイプとトレンチガンに加えて、米政府は1941年6月~1942年9月までに4,534丁のロングバレルM37訓練用ショットガンを調達しました。1945年以降、Ithaca、ウィンチェスター、スティーブンスとともに、戦後の需要は十分で生産を停止しました。
長くなりましたがここからナム戦です。
1962年初頭、東南アジアンの同盟国を武装させる為の追加のミリタリーショットガンの必要性が生じました。
1962年11月から、IthacaM37「12G/Riotタイプ、スライドアクション、20in、軍用仕様MIL-S3443, Type IIIA」の政府契約を受け取りました。1丁あたりのコストは36.61ドルで、これにはクリーニングロッドとスリングが含まれ、1962年11月14日から1963年1月31日までに合計22,000丁のM37ショットガンがサイゴン政府に届けられました。Ithacaは米軍用に作られていなかった為、アメリカ軍の刻印、着剣ラグは無いRiotタイプショットガンでした。

米国のベトナムへの関与がさらに拡大し、WW2で生産されたショットガンが枯渇し1963年、米国政府はIthacaにRiotタイプM37をオーダーしました。南ベトナム政府用に作られたIthacaと同一でスリングスイベルは無く「S」(S1000-S23000)から始まるシリアルナンバーでした。レシーバーとバレルに「P」のプルーフマークが打刻されレシーバーの右側に「US」のマークが打刻、これらの“S-prefix” SUミリタリーモデルのIthacaは着剣ラグを装備していませんでした。例外で1963年U.S. Air Forceが206丁をWW2 M37トレンチガンタイプをオーダーしたようです。



ナム戦時の刻印がある個体
ここからナム戦の米海軍です
1966年5月、U.S. Naval Operations Support Groupは3000丁のM37「Shotguns, Riot Type, Special Purpose, 12g」を発注しました。Ithacaは1丁/37.60ドルの契約価格でシリアルナンバー902000〜952000の付けられた個体です。IthacaはサンディエゴのU.S. Naval Amphibious Base に出荷され、その後、海軍と海兵隊に配布されました。シリアルナンバーマーキング形式を除いて、「S-prefix」M37ライオットと同じような仕様でした。
ここを読む限り以前に政府には納品してるようだがハッキリ66年に米海軍、米海兵隊に渡ったと記述が有り
1960年代半ばに、フランクフォードアーセナルはショットガンの「拡散チョーク」を実験、ショットパターンを生成し「ヒット確率」を高めました。この研究の結果、楕円形のショットパターンを生成するいわゆる「ダックビル」チョークが開発され。M37ライオットに取り付けられた、これらの実験的チョークのいくつかはナム戦の米海軍シールと米海兵隊偵察チームによって使用され、チョークの戦闘使用の結果はさまざまであり、最終的にチョークデバイスは戦闘使用よりも暴動鎮圧に適していると判断されました。
フランクフォードアーセナル
軍需品の設計と製造に関与、軍事兵器がより複雑になると、センターの役割は拡大し、陸軍のより高度な兵器システムの全範囲の開発をカバーするようになる。
1970年代前後からSEALsの画像に何故Ithacaは無くなったか?
ストーナーの事を書いている英文からの憶測ですがナム戦SEALはストーナーの火力を好み
何時しかショットガンの火力では足りなくなったと文章から推測します。
現存するナム戦後期のSEALの集合画像にはショットガンの影は無く、多くのストーナーを装備しています。
何年からIthacaを使ってないとは断言しませんが文献から現状そのように納得するしかありませんね。
やはりSEALs=ストーナーですよ!

むろん海軍はIthacaを使用しています。

が!M870も有ったりします。
海兵隊ですが
Ithaca以外のショットガンを使用してます。


これM870?
1967年、米国政府は以前USFAが注文した200丁を超える「“S-prefix”番号」トレンチガンとは多少違う仕様のトレンチガンをIthacaに少量発注しました。ベトナム時代後期のM37トレンチガンは、パーカー処理された、別のシリアル番号、刻印でWW2のトレンチガンと非常に似ていました。Ithacaには以前の様に工場生産と出荷記録は無い様で少数の個体はシリアルナンバー980,000の範囲の様です。このM37トレンチガンには商用刻印(Ithaca独自の「Roto-Forge」ロゴを含む)に加えて、銃のレシーバーに「US 」をバレルに「P」プルーフマークを刻印またIthacaは軍用刻印無しで製造もしたようです。
バレルに入っているRoto-Forge刻印


1960年代に生産されたM37トレンチガンはWW2トレンチガンと同様にM1917銃剣でナム戦時代の銃剣にはプラスチック製のグリップに変更されていますがレミントンとウィンチェスターが製造した1917年~1918年の銃剣より粗雑な作りだったようです。

東南アジア紛争中に最も広く使われたショットガンはIthacaModel37とStevensModel77EでしたがM77Eは不具合が有りM37は高く評価されたようです。1960年代後にレミントンM870やウィンチェスターM1200を含む新しいショットガンが登場し、M37及び77Eはアメリカ軍からは無くなっていったようです。
なぜかIthacaModel37やStevensModel77Eの米軍マニュアルを探しても探し出せませんでした。
ウィンチェスターM1200は1968年マニュアルを発見。

Remington Model870
レミントンは市場に出始めたのは1951年とか1952年とか諸説あるようですが軍用としては。
Bruce N. Canfield’s氏コンバットショットガンより
Remington Model870は1960年代にコンバットショットガンとして動き始めた。USMCはWW2のウィンチェスターM1897とM1912に代わる新しいショットガンを模索していたが1969年レミントンアームズがM870Mark1でUSMCに応答したようです。
Mark1はM16のM7銃剣用の着剣ラグとライフルスタイルのフロント及びリアサイト付きの21inバレルでベースはレミントンM870ウィングマスター、OD Green Cotton Canvas M14スリングが使用できロングマガジンで合計3,230のMark1ショットガンが納入された。最初の戦闘は1975年5月のMayaguez incident(マヤグエース号事件)で使われたと記述あり。


この記述からもMark1はベトナムでの使用は無いのではないかと推測しています。また海軍にも同時期入っているとは思いますがナム戦海軍Sealsが使用した記録は見つかりませんでした。
まあSEALは火力重視のストーナーかと…と思われます。
このM870レシーバーのU.S.NAVY PROPERTYですが突き詰めていくとフェイクではないかと書かれていましたが真偽は解りかねます。


20年前以上にアメリカ本土で初めて見たM870Mark1個体です。この頃はコンバットショットガンの解説もなくよく判らずに画像に収めましたが改めて見直すとM870でした。
StevensModel77E

ベトナム戦争の初期に、スティーブンスアームズカンパニーは軍用モデル77E暴動銃の受注(陸軍と海兵?)を受けました。
ナム戦では特にMPで広く使用いますが歩兵などでも使用しています。1963年に60,920丁、モデル77Eライオットタイプを米軍と南ベトナム政府に引き渡されたようです。Model77Eは他メーカーのショットガンより安く数多く納入され使用されている。
不具合としてはストックとトリガーガードの破損が有り、これがIthacaの章で記述が有った不具合の様です。
数々ある画像で77Eが多く存在する理由はコストだと判断しました。トレンチガンタイプは?軍納入品としては無い可能性が…記述が無いです。本土では今現在市場にも少ない珍しいショットガンとなっているそうです。
レミントンは市場に出始めたのは1951年とか1952年とか諸説あるようですが軍用としては。
Bruce N. Canfield’s氏コンバットショットガンより
Remington Model870は1960年代にコンバットショットガンとして動き始めた。USMCはWW2のウィンチェスターM1897とM1912に代わる新しいショットガンを模索していたが1969年レミントンアームズがM870Mark1でUSMCに応答したようです。
Mark1はM16のM7銃剣用の着剣ラグとライフルスタイルのフロント及びリアサイト付きの21inバレルでベースはレミントンM870ウィングマスター、OD Green Cotton Canvas M14スリングが使用できロングマガジンで合計3,230のMark1ショットガンが納入された。最初の戦闘は1975年5月のMayaguez incident(マヤグエース号事件)で使われたと記述あり。


この記述からもMark1はベトナムでの使用は無いのではないかと推測しています。また海軍にも同時期入っているとは思いますがナム戦海軍Sealsが使用した記録は見つかりませんでした。
まあSEALは火力重視のストーナーかと…と思われます。
このM870レシーバーのU.S.NAVY PROPERTYですが突き詰めていくとフェイクではないかと書かれていましたが真偽は解りかねます。
20年前以上にアメリカ本土で初めて見たM870Mark1個体です。この頃はコンバットショットガンの解説もなくよく判らずに画像に収めましたが改めて見直すとM870でした。
StevensModel77E

ベトナム戦争の初期に、スティーブンスアームズカンパニーは軍用モデル77E暴動銃の受注(陸軍と海兵?)を受けました。
ナム戦では特にMPで広く使用いますが歩兵などでも使用しています。1963年に60,920丁、モデル77Eライオットタイプを米軍と南ベトナム政府に引き渡されたようです。Model77Eは他メーカーのショットガンより安く数多く納入され使用されている。
不具合としてはストックとトリガーガードの破損が有り、これがIthacaの章で記述が有った不具合の様です。
数々ある画像で77Eが多く存在する理由はコストだと判断しました。トレンチガンタイプは?軍納入品としては無い可能性が…記述が無いです。本土では今現在市場にも少ない珍しいショットガンとなっているそうです。
陸軍は77E
海兵は何でもあり
海軍はIthaca M780
と自分自身感じました。
後はお好きなように解釈でいいかとw
つづく
つづく