スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  

Posted by ミリタリーブログ  at 

2020年03月27日

ヨウスニクス製Stoner63A LMGキャリングハンドルRFA製150rdBoX/スリングスイベル

こんばんは



ヨウスニクス限定販売のStoner63A LMGキャリングハンドルのレポートです。

前回はRFAさんでベースから全て作成してもらいましたがそれが呼び水となってか解りませんがKM社長と話してから一年ほど立って意気なりパーツが出てきました!時間かかりすぎですよ社長!ベースはさすが販売を考えていただけあって、焼きが入っていて良い作りです。



今回の製品が出てきて驚いたのはキャリングハンドルベースに回り止めのパーツが有った事!
これ幾ら探しても出てこない情報で無可動実銃を持ってないと解らない部分でした。
*バレル回り止めの方向が画像では間違っております。

再現するにはロングバレルにスリット切らないといけないですが…
もちろんそれも再現してのバレル装着です!

KM製のStoner63ですがG&P製Stoner63にも付けられるようになってます。
GP製はKM製の外見を寸法をコピーした電動ガンなのでw
*コマンドバレルに装着するには回り止めの加工が必要です。

今後発売されるであろうロングバレルも期待していいと思います。材質、表面処理が変わると思いますがG&P用に同寸法で作成は可能だと思います。むしろ販売しないとキャリングハンドルを作った意味が無いですねw

それと
去年からお願いしていたストーナーの別パーツが形になりました。
あくまでもワンオフで販売はされるか?販売するにしても時間はかかると思います。

まずは
150rdBoXマガジン





100rd/150rd/200rd BoXマガジン
もちろんシールでは使用例が有りますがブラケットの加工が必要なので販売にはその解決も必要ですね。




当時の画像で確認しても150rdBoX使用してます。

150rdBoXが完成すると色々夢が広がりまして、給弾ユニットの弾数が増える、大容量バッテリーを移設可能ガスブロ化が出来ればCO2ボンベを入れられる可能性があるんですよ。

余談ですが



Mサイズの弾薬箱に100rdBoXマガジン 
6セットがぴったり入ります。



150rdBoXマガジンは4セットぴったり入るので今回の150rdBoXのサイズは合っていると思っています。

比較で実150rdBoXマグの画像とを並べておきます。



当時のキャデラックゲージのマニュアルにも存在していた物ですがアメリカで現在探し出すのも困難で値段もプラ製なので崩壊する可能性があるのにたぶん500ドルはすると思われます。



当時150rdBoXは黒色とDO色があり、マニュアルを確認するとゴムを張ったタイプが後から追加したようです、MK23コマンドーが出る前から存在しているパーツです。





もちろん15rdBoX完成版にはこのシールを張りたいですね。



実BoXマガジンを入れた画像です。
ぴったり入るんですよ。

もう一つ



ナム戦当時の画像からはまだ使用は確認されていませんが



1-1/4in(3.81センチ)幅のスリングスイベルをバレルに付けた動画があります。



今後G&Pストーナーにコマンドーストックを付けた場合にこのスイベルリングに変えた方かいいのではないかと形にしてみました。



思った通りサバゲにはこのスリングスイベルの方が米軍スリングがそのまま使え安定して持ち運びが楽でした。



M16のスリングが無かったのでM1カーバインのスリングで代用しましたが良い感じで背負えますよ。

今後も色々な物を自分の欲望の為お願いすると思いますのでこれらのクリエイターさんに注目していてください、決して海外からは発売される事は無いと思いますのでw

つづく
  


Posted by DJVietnam  at 23:00Comments(0)エアガンサープラスモデルガン

2020年03月12日

米軍のコンバットショットガン

こんばんは



コンバットショットガンの話です。
ナム戦で米海軍はIthaca Model37使用して
米陸軍はStevens Model77E使用しているのか?
米海兵隊?がRemington Model870を何時から使用しているか?
気になりまして。

ブルース・N・キャンフィールド氏(Bruce N. Canfield氏)

が書いた文章から。



第一次世界大戦中、戦闘用のメタルハンドガードとバヨネットラグを装備したWinchester Model1897と同様にモディファイされた



Remington Model10ショットガンとともに「トレンチガン」と呼ばれ、第一次世界大戦中に生産された、これらのショットガンは戦争の間、米軍に使用され1918年の契約解除後、新しいコンバットショットガンは製造されませんでした。WWⅠ後、銃器メーカは民間のスポーツ/狩猟市場向けにライフルとショットガンを製造していました。



ウィンチェスターとレミントンのスライドアクションショットガンは人気が有った為、Ithacaはスライドアクションタイプの銃を模索し1937年、Ithaca初のスライドショットガン、Model37を作り、この銃はジョンブローニングが設計したモデル17の改良版でシェルがレシーバーボトムからロード及びイジェクトされるタイプでレミントンアームズ社の人気のショットガンでした。

米国はヨーロッパで激動する戦争に引き込まれる可能性がますます高まっていた為、アメリカ陸軍武器科(U.S. Army Ordnance Dept)は訓練と戦闘の為、すぐに必要になると予想、軍事用ショットガンも含め調達する準備を始めアメリカ陸軍武器科は1941/8/7にOrderNo. 17074 を発行し、 以下の“riot and sporting use”ショットガンを軍用標準とした。
Winchester Model97
Winchester Model12
Ithaca Model37
Remington Model31
Savage M620

1941/11/11日(真珠湾攻撃の1か月前)アメリカ陸軍武器科は、ウィンチェスターに1,494丁のModel97「トレンチガン」を発注。Ithacaは戦争を予測しコンバットショットガン、IthacaM37/20inバレル、トレンチガンバージョンを設計しました。Model37は以前、アメリカ陸軍武器科によって評価された銃のなので、20in/riotタイプ(バヨネットラグ有、無)及び30inバレルはすぐに承認調達されました。

1942年の春、政府は「Model37、12G /20in」バヨネットラグ付きRiotタイプショットガン」1,420丁を発注。

Model37トレンチガンは、1942年6月27日~7月20日までにIthaca工場からオーガスタアーセナルに出荷され、1942年9月4日に2台の追加のモデル37トレ​​ンチガンがニューカンバーランド(ペンシルバニア州)補給所に送られ、合計で1,422丁のIthacaM37が生産納品された。

*アーセナル、ジョージア州オーガスタ練兵場だと思います。

WW2のIthaca Model37トレ​​ンチガンは商用グレードのブルー仕上げで
政府との契約で調達された初期のIthacaのレシーバには彫金は無く、グリップとレピータハンドルにチェッカリングが有りました。



ネットで拾ったIthacaM37/30inストックとレピータハンドルにチェッカリングあるタイプはこの個体に近いと推測

Ithacaは他のメーカーとは異なり、第二次世界大戦~の生産記録があり正確なシリアル番号が残っています。銃のシリアルは連続していませんが第二次世界大戦で生産されたモデル37トレンチガンの軍用シリアルは57,820から61,450でした。レシーバー左側面にOrdnanceの刻印、「RLB」(Rochester L. Bowlinの頭文字)、バレル/レシーバーにPマークが打刻されていますが在庫からのIthacaM37には検査または証明の刻印が無かったものが有ったようです。

この画像のシリアルですがSから始まるナンバーなのでナム戦の軍用Ithacaです。

1,422のトレンチガンに加えて、Ithacaは政府に多数のM37Riotを納入しました。初期の契約を履行するために、M37 20in/Riotの多くは民間の生産在庫から直接納品され「US」、Ordnance「flaming bomb」爆弾マーク「P」マーク刻印があり多数個体のレシーバーにゲームシーンの彫刻がされたブルー仕上げで木部はチェッカリング入った物でした。1941年後半から1942年初頭にかけてM37 22in/Riotタイプとトレンチガンに加えて、米政府は1941年6月~1942年9月までに4,534丁のロングバレルM37訓練用ショットガンを調達しました。1945年以降、Ithaca、ウィンチェスター、スティーブンスとともに、戦後の需要は十分で生産を停止しました。

長くなりましたがここからナム戦です。

1962年初頭、東南アジアンの同盟国を武装させる為の追加のミリタリーショットガンの必要性が生じました。
1962年11月から、IthacaM37「12G/Riotタイプ、スライドアクション、20in、軍用仕様MIL-S3443, Type IIIA」の政府契約を受け取りました。1丁あたりのコストは36.61ドルで、これにはクリーニングロッドとスリングが含まれ、1962年11月14日から1963年1月31日までに合計22,000丁のM37ショットガンがサイゴン政府に届けられました。Ithacaは米軍用に作られていなかった為、アメリカ軍の刻印、着剣ラグは無いRiotタイプショットガンでした。


米国のベトナムへの関与がさらに拡大し、WW2で生産されたショットガンが枯渇し1963年、米国政府はIthacaにRiotタイプM37をオーダーしました。南ベトナム政府用に作られたIthacaと同一でスリングスイベルは無く「S」(S1000-S23000)から始まるシリアルナンバーでした。レシーバーとバレルに「P」のプルーフマークが打刻されレシーバーの右側に「US」のマークが打刻、これらの“S-prefix” SUミリタリーモデルのIthacaは着剣ラグを装備していませんでした。例外で1963年U.S. Air Forceが206丁をWW2 M37トレンチガンタイプをオーダーしたようです。




ナム戦時の刻印がある個体

ここからナム戦の米海軍です

1966年5月、U.S. Naval Operations Support Groupは3000丁のM37「Shotguns, Riot Type, Special Purpose, 12g」を発注しました。Ithacaは1丁/37.60ドルの契約価格でシリアルナンバー902000〜952000の付けられた個体です。IthacaはサンディエゴのU.S. Naval Amphibious Base に出荷され、その後、海軍と海兵隊に配布されました。シリアルナンバーマーキング形式を除いて、「S-prefix」M37ライオットと同じような仕様でした。

ここを読む限り以前に政府には納品してるようだがハッキリ66年に米海軍、米海兵隊に渡ったと記述が有り

1960年代半ばに、フランクフォードアーセナルはショットガンの「拡散チョーク」を実験、ショットパターンを生成し「ヒット確率」を高めました。この研究の結果、楕円形のショットパターンを生成するいわゆる「ダックビル」チョークが開発され。M37ライオットに取り付けられた、これらの実験的チョークのいくつかはナム戦の米海軍シールと米海兵隊偵察チームによって使用され、チョークの戦闘使用の結果はさまざまであり、最終的にチョークデバイスは戦闘使用よりも暴動鎮圧に適していると判断されました。

フランクフォードアーセナル
軍需品の設計と製造に関与、軍事兵器がより複雑になると、センターの役割は拡大し、陸軍のより高度な兵器システムの全範囲の開発をカバーするようになる。

1970年代前後からSEALsの画像に何故Ithacaは無くなったか?
ストーナーの事を書いている英文からの憶測ですがナム戦SEALはストーナーの火力を好み
何時しかショットガンの火力では足りなくなったと文章から推測します。
現存するナム戦後期のSEALの集合画像にはショットガンの影は無く、多くのストーナーを装備しています。
何年からIthacaを使ってないとは断言しませんが文献から現状そのように納得するしかありませんね。
やはりSEALs=ストーナーですよ!



むろん海軍はIthacaを使用しています。



が!M870も有ったりします。

海兵隊ですが
Ithaca以外のショットガンを使用してます。




これM870?

1967年、米国政府は以前USFAが注文した200丁を超える「“S-prefix”番号」トレンチガンとは多少違う仕様のトレンチガンをIthacaに少量発注しました。ベトナム時代後期のM37トレ​​ンチガンは、パーカー処理された、別のシリアル番号、刻印でWW2のトレンチガンと非常に似ていました。Ithacaには以前の様に工場生産と出荷記録は無い様で少数の個体はシリアルナンバー980,000の範囲の様です。このM37トレンチガンには商用刻印(Ithaca独自の「Roto-Forge」ロゴを含む)に加えて、銃のレシーバーに「US 」をバレルに「P」プルーフマークを刻印またIthacaは軍用刻印無しで製造もしたようです。

バレルに入っているRoto-Forge刻印




1960年代に生産されたM37トレンチガンはWW2トレンチガンと同様にM1917銃剣でナム戦時代の銃剣にはプラスチック製のグリップに変更されていますがレミントンとウィンチェスターが製造した1917年~1918年の銃剣より粗雑な作りだったようです。



東南アジア紛争中に最も広く使われたショットガンはIthacaModel37とStevensModel77EでしたがM77Eは不具合が有りM37は高く評価されたようです。1960年代後にレミントンM870やウィンチェスターM1200を含む新しいショットガンが登場し、M37及び77Eはアメリカ軍からは無くなっていったようです。

なぜかIthacaModel37やStevensModel77Eの米軍マニュアルを探しても探し出せませんでした。
ウィンチェスターM1200は1968年マニュアルを発見。



Remington Model870

レミントンは市場に出始めたのは1951年とか1952年とか諸説あるようですが軍用としては。

Bruce N. Canfield’s氏コンバットショットガンより

Remington Model870は1960年代にコンバットショットガンとして動き始めた。USMCはWW2のウィンチェスターM1897とM1912に代わる新しいショットガンを模索していたが1969年レミントンアームズがM870Mark1でUSMCに応答したようです。

Mark1はM16のM7銃剣用の着剣ラグとライフルスタイルのフロント及びリアサイト付きの21inバレルでベースはレミントンM870ウィングマスター、OD Green Cotton Canvas M14スリングが使用できロングマガジンで合計3,230のMark1ショットガンが納入された。最初の戦闘は1975年5月のMayaguez incident(マヤグエース号事件)で使われたと記述あり。





この記述からもMark1はベトナムでの使用は無いのではないかと推測しています。また海軍にも同時期入っているとは思いますがナム戦海軍Sealsが使用した記録は見つかりませんでした。

まあSEALは火力重視のストーナーかと…と思われます。

このM870レシーバーのU.S.NAVY PROPERTYですが突き詰めていくとフェイクではないかと書かれていましたが真偽は解りかねます。



20年前以上にアメリカ本土で初めて見たM870Mark1個体です。この頃はコンバットショットガンの解説もなくよく判らずに画像に収めましたが改めて見直すとM870でした。

StevensModel77E



ベトナム戦争の初期に、スティーブンスアームズカンパニーは軍用モデル77E暴動銃の受注(陸軍と海兵?)を受けました。
ナム戦では特にMPで広く使用いますが歩兵などでも使用しています。1963年に60,920丁、モデル77Eライオットタイプを米軍と南ベトナム政府に引き渡されたようです。Model77Eは他メーカーのショットガンより安く数多く納入され使用されている。


不具合としてはストックとトリガーガードの破損が有り、これがIthacaの章で記述が有った不具合の様です。

数々ある画像で77Eが多く存在する理由はコストだと判断しました。トレンチガンタイプは?軍納入品としては無い可能性が…記述が無いです。本土では今現在市場にも少ない珍しいショットガンとなっているそうです。

陸軍は77E
海兵は何でもあり
海軍はIthaca M780
と自分自身感じました。
後はお好きなように解釈でいいかとw

つづく
  


Posted by DJVietnam  at 00:10Comments(0)ヒストリー